【3】「きもの のはなし」

<第10回 トラディショナル・シンボル(家紋)の魅力と楽しみ >

今回は家紋特集です。 今ではどこか遠い存在ですが、海外に行くときはパスポートにお世話になっていますね。 菊の紋章を見るときは日本人の「あかし」を知る時。 現在の日本ではこれが一番大切な紋章かも、知れません。(単に皇室を表すわけではないそうです。) また、歴史に詳しい人なら、有名な家紋を覚えているでしょう。 (例えば信長の「モッコウ」など。)あなたの紋は偉人の誰と同じでしょうか? さらに、意味や発祥は?日本人(あなた)の証を解きあかしてみることも、できそうです。

さて、家紋のデザイン性は世界的にもまれな造形美と言われます。 紋には基本形で200種、バリエーションを含めると5000種類以上があるといわれ、 家紋は名字より先に庶民に広がっていたので、根強く受け継がれている文化の 一つといえます。だから今でも、紋と名字によって家系、ルーツを説明できるのです。 学問的なことを言えば、「姓氏家紋は一族の来歴と伝統を示し」 「単なる模様のように、無制限に変化し不規則に増加するわけではない」 「変化のルールと定型化されたパターンがある。」…そうです。これは雑学ですね!

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「家紋くいず!」 クイズ形式で紋を紹介します。上のA〜Jのデザインと下のイ〜ヌの文章を当てはめてみて下さい。

A      B      C      D      E       

F     G      H      I      J 

●イ●天神さまと加賀百万石の正紋。 天神さま(菅原道真)が好んだ梅。菅公と天満宮にゆかりのある諸氏の代表家紋で、前田家の正紋 でもある。バリエーションが多く、使用家の数もベスト10にはいる。
●ロ●平家の「アゲハチョウ」も有名ですが・源氏は「竜胆(りんどう)」 英雄・義経が使っただけに、源氏一族の代表家紋として好まれた。 家紋ばかりではなく、平安時代には貴族に愛された模様で、「源氏物語」「枕草子」にも登場する。
●ハ●鷹の羽は尚武のシンボル。 もともと阿蘇神社の神紋で、「蒙古襲来絵詞」九州の豪族、菊池氏にも描かれている。 また、忠臣蔵の浅野家の正紋でもある。江戸時代には大名、旗本合わせ120余家、 現在も桐紋と並んでベスト5に入る。
●ニ●日本一の大紋・藤。 使用する家の数、全国的な分布からいって天下第一の家紋。 とくに佐藤、伊藤、武藤などの藤原秀郷流に多い。秀郷とは、平将門を討った俵藤太のこと。 藤原家の祖は中臣鎌足ですが、移り住んだ土地に由来して藤原鎌足としたのです。 (下: 「ルーツが分かるって、本当」に詳しく書きます。)
●ホ●光秀、清正、龍馬の紋。 桔梗は100種以上の種類があり、 使用家の多さもベスト10に入る有名紋。清和源氏頼光流、土岐一族のほか義家流も用いる。
●ヘ●桐紋は皇室の副紋。 格式が高く、ベスト5に入る名紋。足利尊氏、豊臣秀吉は下腸されたこの紋を多くの諸氏に分け与え、 普及させた。桐は中国の伝説では鳳凰の住む聖樹とされる。
●ト●笠紋は柳生・将軍家剣道指南役の正紋。 傘とは違い、被り笠のこと。「さむらい」との縁が深い。 藤原秀郷流・為憲流の高橋氏、源氏流の高野氏、式部氏、蓑氏も使用する。
●チ●目結紋は鹿子絞りのこと。 名字は違ってもこの紋を使っている家は近江源氏・佐々木一族と考えて良い。 紋のごとく、現在でも団結した子孫(約40万人)は佐々木神社とともに密接に結びついている。
●リ●悪敵を調伏する、巨大な戦車・輪宝紋。(仏教の法具) 古代インドの武器でインド国旗の真ん中にあるものと起源は同じ。 三宅姓であれば、岡山・三宅庄が出目と考えて良いでしょう。
●ヌ●神職に多い柏紋 古来神木として尊重され、伊勢神宮、熱田神宮などの家紋になった。基本は三つ柏。 これは七福神の恵比寿神、また、旧制一校の校章としても有名。

家紋というと男性社会の象徴のようではありますが、実際は広く使われました。 例えば、桔梗は女性紋の代表とされたり、蔦(つた)は 芸者や遊女にまで大流行しました。ナデシコ、橘、なども好まれ、 きものの柄にも取り入れられました。

ルーツが分かるって、本当? 専門書をひもとくと、歴史と同時に自分の出目をうかがい知る事ができるそうです。 例として「加藤」さんについて調べてみると・・・


加藤とはその字のとおり、加賀の藤原家の意味で、名門斉藤一族に連なる。斉藤の祖・叙用の子が加賀に 移り、三代目から加藤と称したのが始まり。その子は伊勢目代となり、対岸の三河から伊豆、 美濃へと広がり、発祥の地をしのぐ勢いを見せる。戦国大名の加藤嘉明(尾張)、加藤光泰(美濃)。 甲斐に移住して武田に仕えた一族は、武田滅亡後、武蔵に土着している。
代表家紋は「蛇の目」。ヘビの目に似ているが、実は弓の弦を巻き付ける革製の環を図案化した尚武 紋である。ほかに藤、桔梗、千木など。ちなみに加藤姓の他の出目には山形県:最上氏家臣、 福岡県:黒田長政家臣などに活躍した加藤氏があり、有名な加藤清正も名古屋ではあるが、 出目は藤原北家道長流を称した。
【藤原家の変遷】
加賀に移り住んだ藤原家を加藤というように、伊勢では伊藤、尾張では尾藤、那須では須藤、 近江では近藤と派生していきます。また、安倍家と縁を結んだ場合には安藤となったり、 斎藤、佐藤のように土地ではなく、役職がらみの姓氏もあります。

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