対して、 「気を付けたいこと。」これにも目を向けておくことにしましょう。 身の回りのモノはあなた次第で生かすことが出来ます。でも殺すことになるかも知れません。 豊かな時代に忘れがちなメンタルな要素・・・ 今回は「着物を着るという、心のゆとり」を、メンタル・メイク・アップと表現して、 あえてネガティブな話をしてみます。
まず、着物まわりで起こること。ひとつ。融通の利かない思いをする。
汚さないように、大切に着よう!と思う心が先立って、逆に気負いや煩わしさになりがちです。
そして、(2つめ)まわりに迷惑をかけられないし、フォーマルな場では慣れていないという理由から、
いっそう気遅れしたり、難しくも感じてしまいます。
とくに現代社会では、TPOをわきまえていても、ちがった見方をされることは否定できません。
(どちらが正しいかということではなく、 現実として起こりうることです。)
たとえば、「普段着きもの」であっても、常識のある方だったら、
きっと、きものを着たあなたに気を使うでしょう。
気持ちをふっきって着ていても、あなたの気持ちに関わらず、相手との気持ちのすれ違いは起こります。
なぜなら「カジュアルのつもり・・・」と思っても、着物は多くの場合洋服が何枚も買える値段であったりします。
よごしてしまった時に「ごめんね。」で済まない(金額になる)ことも、あるからです。
世間一般ではきものが高額なモノという目で見られていることを
ささやかに受け止めなくては、なりません。
みんなで行く場所や食事。行動。お天気さえ大きな問題になるでしょう。
「もっとゆっくり歩いてよ。」なんて言い出したら、もう、楽しむどころではありませんね。
メンタル・メイク・アップとは自分と着物のあいだに、周りと自分のあいだに、意識する心得なのです。 <精神的にリラックスする道具>以前のコラムでこう書きましたが、 着物を着たいという気持ちの根本にいつでも戻りましょう。 「それでも、あえて、きものを選ぶのよ!」この姿勢。覚悟。 そこに楽しみも意味もあります。大事なことは「心のゆとり」、かな?
フォーマルシーンの衣装は、特別な日に声をかけずとも嬉しさ、喜ばしさを伝え、
ともに楽しむ最高の価値をもっています。現代では着物姿自体が気持ちを語る道具になっていると思います。
きもの は <気・モノ> なんです。
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