毎年、成人の日はマスコミのニュースが賑わいを伝えます。 しかし最近は(2006年頃)、「荒れた若者」「もう成人式は必要ない」とか「無駄」 といった批判も出てくるようになりました。 そこで、成人式の本来の意義と目的を考えてみたいと思います。もちろん、成人式がなくなったら着物屋も困りますので(笑) 主人公:若者に味方してコラムを書きますw。
◆未来を担うのは彼らです。
成人式に出席している多くの人は肯定的に楽しんでいます。
<最新の成人式のようす>
荒れた若者はごく一部に過ぎませんし、大多数の若者はいつの時代も初々しさは変わりません。
将来の活躍に期待し、過去の自分を思いだして応援したくなります。
いつの時代も、厳しい現実・社会があり、若者達はその荒波に立ち向かうのですから。
社会の荒波は今も酷いですよ・・・
終身雇用をなくし、フリーターや派遣制度など、多様化した環境を創ったのは大人達。
暴力沙汰をおこす新成人は論外ですが、親や教育・政治・企業の責任を棚に上げていませんか?
ともかく、ハタチの門出を暖かく祝福しましょう! 文化的にいえば、「ハレ」と「ケ」。
日常がケ。日々のケに頑張るために、ハレがあります。ハレとは冠婚葬祭などを指し・・・
これが「晴れ着」の語源です。
◆社会のカガミ
僕の頃は、比較的おとなしい成人式だったかな・・・。
1990年頃は、いわゆる管理教育が残っていたから?
若者は、単純に時代を写しているのかも知れません。
また、若い世代の考えることは理解できる部分がたくさんあります。
貴重な場という認識があるから、式典の後もすぐに帰るのは惜しい。友人同士の記念撮影、
連絡先の交換、近況報告など、「人脈づくり」をしているのではないでしょうか?
「すみやかに解散しなさい・・・!」というアナウンスはまったく的はずれです。
考えてみてください。もし自分が平成育ちだったら彼らと同様の価値観をもつだろうし、
逆に彼らが大人達と同様の環境で育ったら、きっと同様の大人になります・・・これが
普通に想像できること。若者をひとくくりにしたり、特異に感じるのはオジサンになった証拠です。
◆受け継ぐ「成人式」。
成人式は、現在のやり方が定着してさえ、戦後60年も経ちます。
ほとんどの大人が通ってきた行事を、未来の世代から奪う権利は大人にありません。
式が無駄な出費というのはひどい話です。
(次世代に国の借金、数百兆円をツケ回して。。)
(正直、昔も今も式典はツマラナイものですが)
儀式は厳粛な雰囲気で、背筋を伸ばし、感謝や誓いをたてる場です。
お祭り騒ぎを論じるまえに大事なことをを引き継ぐ役目があります。
親・教師・会社の経営者・町内会など、社会のあらゆる立場で
若い世代は宝なんですね!未来を、希望を、お祝いする責務があります。
社会の新しいメンバーを歓迎しましょう。
世界中で、社会人・大人になる儀式が古来より続いています。 日本独自のやり方、オリジナリティも大事にしたい。 ・・・この行事、本来の意味・意義は素晴らしい! 春日井市の成人式も、見直したいところがいっぱいあります。 次回は、そのアイディアを書いてみます。