先日、ひさしぶりにお茶会に出かけました。
僕はそこで、キモノが好き、ということよりも、
僕はキモノを着ている姿(ひと)が好き、ということを改めて思いました。
洋服だと、絶対こうは感じなかったと思います。たぶん、お茶会の
「よくわからない高価な道具」「読めない掛け軸」が主役になったかも?
・・・お手前(のしぐさ)や、お茶をいただく人が(格式に)負けちゃいけない!
・・・きものの存在感は、人物に主役の魅力を出していました。
さて、プロから見ると、どんな物を着ているか、だいたい分かるのですが、
(金額も?)
実際には、お金をかけている人・最近買ったばかりの着物、のほか、
タンスにあった懐かしいきもの・定番をじょうずに着ている人も、
半数ちかくいて、バリエーション豊かな目の保養になりました。
日本に生まれ育っても、和文化は体験しないと身近に感じません。
僕もきもの屋に生まれて、いつの間にか着物屋の人間になりましたが、
身近に感じるようになった、最大のキッカケは「人との出会い・かかわり」だったように思います。
着物好きの人からのお話を聞くこと・きもの姿を見ることが直接、こころに伝わるものでした。
関西のある居酒屋チェーン店では、高級料亭風の室内空間・もてなし・そして「きもの姿の女将」 であたらしい分野を開拓しはじめたそうです。 女将は、お花・筆ペン・接客の総合を学んで実践する、とニュースで特集していました。 大衆向きにこんな趣向を発信することが「今、世間に求められている」新しいニーズなのですね。 「着る・見る」和体験が、着実にすすんでいます。